犬の狼爪 アルシャー京子

「狼爪」と書いて「ろうそう」と読む。これは犬の前足の手根部分、人間でいう親指に当たる指の名前である。犬は通常この指を持って生まれるが、純血種の世界では好ましくないとされ、生まれてすぐに切り落とされる習慣がアメリカや日本にはある。生後間もなく切り落とされてしまうので、飼い主自身すら犬に狼爪が付いているということをしらない人もいる。

狼爪は前足の上の方についていることから、ほとんど役に立たないとも思われるが、犬をよく観察してみると両方の前足でものを押さえて食べたり齧ったりする時や、全力疾走で前足の着地時に若干地面に触れて、実はそれなりの役目を果たしているのである。

そして、狼爪は前足にだけ付いているものと思われがちだが、たまに後ろ足の内側にも持つ犬がいる。前足の狼爪が未だにわずかな機能性を持っているのに対し、後ろ足の狼爪は正直いって全く役に立たない。一説によると、後ろ足の狼爪は度々先祖返りのような現象として現れることから犬種を確立する際に好ましくないとされ、近代犬種のブリーディングから排除してきたといわれている。いまでもスタンダードの規定により、多くの犬種ではこの後ろ足の狼爪のある個体を失格としている。

前足の狼爪と後ろ足の狼爪とでは機能が異なるため、それぞれの構造も若干異なっている。前足の狼爪が1本の指としてちゃんと狼爪の骨と手根骨とが繋がっているのに対し、後ろ足の狼爪は足根骨(踵から下に伸びる数本の骨)に繋がる骨がいつもあるとは限らず、爪と皮膚だけがあるだけでぶらぶらしていることが多い。

そんな状況の中、いくつかの犬種では後ろ足に狼爪が付いているのスタンダードとしている犬種もある。グレート・ピレネーズやボースロンのように、狼爪を古い犬種の証としていたり、また後ろ足の狼爪を機能的に必要なものとして犬種スタンダードに規定しているルンデフンドなどがいる。もちろんこれらの犬種では後ろ足の狼爪はしっかりと骨とつながっていて、その機能性が維持されていることがわかる。

少し余談をするならば、英語では前足の狼爪も後ろ足の狼爪も共に「Dewclaw」と呼ばれ、その前後の区別がないままにスタンダードに失格として書かれているが、ドイツ語では前足の狼爪を「Daumenkralle」、後ろ足の狼爪を「Afterkralle」と呼んで区別している。これにより、どの狼爪が失格に相当するのかがドイツ語で書かれたスタンダードでは明確になっているのに対し、英語書かれたスタンダードではそれが不明確であるがために前足の狼爪までも失格であると理解され、切り落とすという習慣につながっているように感じる。

もう一度考えてみよう。前足に狼爪を持って生まれてくるのは犬にとって正常な姿である。正常な体の一部である前足の狼爪を切り落とす理由は本来ないのだが、「好ましくない」という理由が単なる言葉の理解の相違による結果であるならば、犬にとってはけっこうな災難ではないだろうか。

さて、狼爪にまつわる話をしたが、狼爪は「オオカミの爪」と書かれていながら、実はオオカミには後ろ足の狼爪はない。もしかしたらこれを名付けた当時は犬の先祖をオオカミと信じ、先祖返り現象をオオカミにちなんでみたのかもしれない。

2016年11月